企画展「ノリノリ君と学ぶ大田区の海苔づくり」
令和6年12月17日(火)~令和7年4月20日(日)
大田区では江戸時代中期に海苔養殖が盛んになり、明治時代から昭和時代初期までは日本一の海苔生産地でした。しかし、昭和37(1962)年に東京港港湾整備計画のために漁業権を放棄し、翌38年に大田区をはじめとした東京都内湾の海苔養殖は終わりました。
さて、海苔養殖の作業は夏に道具の準備から始まり、秋には漁場の準備、冬に海苔の収穫、春に漁場の片付けと一年中さまざまな作業がありました。冬の収穫期には、未明から作業が始まり、午後遅くまで海と陸の両方でほぼ毎日作業が続きました。
当館では、11月から翌3月までの冬季期間、生海苔の収穫に合わせて海苔つけ体験を行っています。一般向けの体験には親子連れが多く参加し、小中学校と高校向けの体験授業の受け入れも行っています。小学生が多く来館する時期であることから、子どもたちにも分かりやすい内容で大田区の海苔養殖の歴史と海苔づくりの展示をします。当館の展示キャラクターのノリノリ君ファミリーが、楽しく学べるよう分かりやすく解説します。
写真展「『漁』のある風景」
令和6年8月20日(火)~12月15日(日)
大田区の沿岸部の大森・糀谷地域では、海苔養殖以前は畑作を中心とした農村でした。江戸中期に海苔養殖が始まると、母屋周辺の敷地や農地は広い海苔乾し場に変わっていきました。羽田地域は、江戸幕府に海産物を献上する猟師町で、漁村としての恩恵を受けて栄えました。船着き場周辺には共同で船の帆や網を乾す場所があり、その周りに漁師の家屋が集まっていました。人々の暮らしや家屋はこれらの地場産業と結びついており、特徴をもった街並みが広がっていました。
昭和38年春、港湾整備計画のために大田区の海苔養殖と沿岸漁業は終わりました。そして、海辺の街は急速に湾岸の埋め立てやインフラ整備が進められ、街の景観は大きく変わりました。
今回の写真展では、「漁」が盛んだったころの海辺の街の風景や人々の日常が写された写真を展示します。写真を通して当時の暮らしや街の風景の変化を振り返ります。
企画展「竹ヒビから海苔網へ ―現代の海苔養殖技術の黎明―」
令和6年4月16日(火)~8月18日(日)
江戸中期から大正期までの約200年間、海苔の養殖資材として木ヒビと竹ヒビが使われましたが、材料の価格高騰や沖へ拡張する漁場に対応するために新たなヒビの研究が行われました。昭和初期には現在の海苔網の原型が誕生しました。
海苔網は、竹ヒビに比べて安価で軽く、製作が簡単でより多くの収穫を得ることができました。さらに、海苔網を使用することで、潮汐の影響を受けない海苔採りが可能になりました。海苔網の誕生は、海苔養殖に一大改革をもたらしたといえます。
昭和初期の海苔網の誕生と共に、新興漁場や水産試験場の実験地では普及が始まりました。大田区では羽田で昭和初期に実験が開始されました。しかし、大森では沖の漁場で使用する結いつけヒビが考案され、竹ヒビでの養殖が順調だったことから、海苔網が導入されたのは昭和20年代に入ってからでした。終戦後、経済の復興や科学的な技術の導入、若者による研究会の発足などもあり、大森の海苔養殖は急速に技術の成長を遂げたのです。
今回の企画展では、海苔網の導入による海苔養殖技術の変化や、海苔網による海苔養殖の方法について取り上げます。漁業権放棄までのわずか20年弱の間に行われた現代の海苔養殖の黎明期の姿を振り返ります。